2016年6月25日土曜日

皮膚の感覚

世の中が激変している中で、
隠遁してるかというほど内に籠った時期…
充電、練丹、仕掛けと思いたい。

日々感覚の変化というのはあるもので、
人の身体に触れば新しい気付きがある。
皮膚を撫でるだけで深部を緩める整体法を
身につけてから結構経つけど…

今日はその皮膚の緊張の方向性がかなり"見える"感じに
感じ取れるようになった。
(これまでは図で教わった方向性に沿って施術してみてから緩みを確認していた)
仕組みが分かってしまうと、また触らなくても感じ取れる世界が広がった事になる。

身体は不思議で、どんなイメージをもって
身体を見ているかで感じ取れるものが大きく変わる。
2年前では筋膜の引きつりすら理解出来ていないし、つまりは感じ取れていなかった。
本当に面白い。

理解した事は、きちんと言語化して伝える努力が私の存在する価値。
出来るだけ感じ取って貰えるように伝えて行きたい。

2016年6月13日月曜日

梅雨の時期の不調 その2

梅雨の時期の汗の出にくさの話でした。
対策は汗を出してやることなのですが、
この汗は運動した時の汗とちょっと違うんです。
熱が出た人は身体が自ら汗を出そうとしてくれたわけで、おめでとうということです。
せっかく出た汗はよく拭いたり、衣服を変えて冷やさない様に。

汗を出すには幾つかやり方があるのですが、
一つは後頭部を温めること。
もう一つは左二の腕の真ん中あたりを右手のひらで暫く温めるかさすります。
ちょうど冬に寒くてさするところですね。
ここは胸椎5番の緊張と関係しているのですが、
胸椎5番が発汗や免疫機能と関係しています。
そして、普段より数度熱いお湯に下半身浴すること。
長湯はせず、太ももが赤くなったらすぐ出ます。
赤くなり方の悪い足があったらそちらをもう少し赤くなるまで浸かります。
出始めた汗は拭いてとにかく冷やさない様に。

梅雨のじっとりにお風呂もさっぱりして気持ち良いことでしょう!


2016年6月11日土曜日

梅雨の時期の不調 その1

このところ周りに熱を出したり肺炎になった方がいて、
症状を聞いていると、あぁ汗を冷やしたな、と思います。

既に結構暑くて、電車や職場でもクーラーが入ったりすると、
出かかった汗が止まってしまう。
すると野口整体でいう"汗の内攻"という状態が起こります。
汗が出ないことで身体が水分量の調整に失敗するんです。
代替機能として泌尿器系が働いておしっこが出ればまだ良いのですが、
それも鈍いと呼吸器系に負担が出ます。

症状としてはだるさ、手足の重さ、むくみ、皮膚が硬張る、筋肉が痛む。
また呼吸が苦しくなる、肺炎になるなど。
偏頭痛や目の奥の痛みなどこの時期の急性的な症状とも関係があります。
また、暑くて寝づらいのも汗が出ないことで深部体温が下がらない事と関係しています。

この時期はちょっと風を浴びただけでもすぐ汗が引っ込んでしまうということで、
特に背中から受けた風で身体を冷やしやすいとされています。
電車通勤の経験からは納得です。

この辺、汗と身体の関係については"体運動の構造"という本に詳しく書かれています。
まずはこの時期は風を浴びて体を冷やす事にお気をつけを、ということで、
次回は汗の出し方について書きますね。

2016年6月2日木曜日

学びを続けてます

色々な整体の本を読んでみて思うには...
筋膜緊張を追う身体感覚が身についたことがとにかくとてもありがたい。

この症状の時はここを押せとか緩めろ、というのも、
みな自分の身体の中の繋がりをイメージしてみれば身体感覚で理解出来る。
あぁ、緊張の繋がりをそう捉えてケアしようとしているのか、と。
かつ感覚記憶に投げてるのでそのまま身体が覚えちゃう。不思議。
かつては経絡がなかなか頭に入らなかったものが、驚くほど身体に染み込んで理解できる感じ。
色んな学問をこうやって学びたかった...

様々な整体法があって、様々な診立てがあるわけだけど、
それらがどれもそれなりに治療効果を出す、ということは、
絶対正しい診立てというのがあるわけではなくて、
どれもそういう仮定と理屈で体系化してみました、
ということに過ぎないかもしれない。

古いものほど実績が積みあがっているかもしれないけど、
経絡も五行で整理するのが正しくないとする説もあったり、
数年くらいの短いスパンでも人の経絡の傾向が変化していて、
昔ながらの経絡の位置やその流れの方向が合うってないという人もいる。
だから時代ごとに様々な流派が出てくるのも
おかしなことではないと思うようになった。

そうした説を唱える人は、むしろ説ではなくて、
皮膚の緩みから骨際の拘縮を感じとったり出来る、
武術由来の体性感覚からの発言である様だ。
施術家なら経験を積んだ手の感覚がある人。

一応私もその入り口には立たせてもらっている様なので、
この感覚を磨いていければと思いつつ、
様々な手法の記述から、著者の体性感覚がどうかという点だけを
皮膚で吸収するような気持で読みとろうとしている。

少し前の整体法はその感覚を説明するために
結構宗教性が入っていた。
おそらく相手の身体を感じ取るときに
自分の力を抜く時の独特の心理状態があるんだけど、
それを多少宗教性をもって説明しなければならなかったかと思う。

でも整体法や健康法に宗教性を含める時代は終わっていると思う。
例えばヨガをすることで美しい精神性と人生、みたいなものは
すでにピークがとっくに過ぎているのではないかと思う。