色々な整体の本を読んでみて思うには...
筋膜緊張を追う身体感覚が身についたことがとにかくとてもありがたい。
この症状の時はここを押せとか緩めろ、というのも、
みな自分の身体の中の繋がりをイメージしてみれば身体感覚で理解出来る。
あぁ、緊張の繋がりをそう捉えてケアしようとしているのか、と。
かつ感覚記憶に投げてるのでそのまま身体が覚えちゃう。不思議。
かつては経絡がなかなか頭に入らなかったものが、驚くほど身体に染み込んで理解できる感じ。
色んな学問をこうやって学びたかった...
様々な整体法があって、様々な診立てがあるわけだけど、
それらがどれもそれなりに治療効果を出す、ということは、
絶対正しい診立てというのがあるわけではなくて、
どれもそういう仮定と理屈で体系化してみました、
ということに過ぎないかもしれない。
古いものほど実績が積みあがっているかもしれないけど、
経絡も五行で整理するのが正しくないとする説もあったり、
数年くらいの短いスパンでも人の経絡の傾向が変化していて、
昔ながらの経絡の位置やその流れの方向が合うってないという人もいる。
だから時代ごとに様々な流派が出てくるのも
おかしなことではないと思うようになった。
そうした説を唱える人は、むしろ説ではなくて、
皮膚の緩みから骨際の拘縮を感じとったり出来る、
武術由来の体性感覚からの発言である様だ。
施術家なら経験を積んだ手の感覚がある人。
一応私もその入り口には立たせてもらっている様なので、
この感覚を磨いていければと思いつつ、
様々な手法の記述から、著者の体性感覚がどうかという点だけを
皮膚で吸収するような気持で読みとろうとしている。
少し前の整体法はその感覚を説明するために
結構宗教性が入っていた。
おそらく相手の身体を感じ取るときに
自分の力を抜く時の独特の心理状態があるんだけど、
それを多少宗教性をもって説明しなければならなかったかと思う。
でも整体法や健康法に宗教性を含める時代は終わっていると思う。
例えばヨガをすることで美しい精神性と人生、みたいなものは
すでにピークがとっくに過ぎているのではないかと思う。